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1人のバカが繋いできた、天王田若衆のバトンと歴史。@だんじり

今季目覚ましい成長を見せた千葉ロッテの種市投手。目標とする千賀投手と似たタイプの質の高いストレートと落差のあるフォークで勝負する投手。数年後、日本を代表する投手になるはずの彼が来季どんな活躍を見せてくれるのか楽しみですね。

こんにちは!昨日の天王田町会の餅つきで握力の3分の1を失い、本来のスピードでキーボードを叩けない鍼灸師のだんじょーです。

今日の黒板はこんな感じでした。

はい。

昨日は朝9時から天王田町会の餅つきがあり、その後1件用事を挟み、天王田の後輩が経営している大阪・天満の焼鳥の名店で、だんじりの後輩たちとご飯を食べていました。

▼皮パリのタタキも相変わらず美味でした

夜が更けるまでみんなで語り合った内容の中で要約したことを140文字にまとめ、朝のツイートをおこないました。

疑問や問題が生まれる事は悪い事じゃない。むしろ前進。それを行動に移せばさらに一段階前進。

価値観を共有出来るものが二人、三人と増えていけばさらに素晴らしい。そこには熱が必要。その熱は自分の利ではない。

いかに相手が喜ぶ事を探し、実践出来るか。組織に必要なのは熱と時間の共有。

店主を入れて昨日で12名。

むちゃくちゃ有意義で素敵な時間だった。これが本来の天王田の形。年齢問わず各年代がこういうことを続けていかないといけない。

たった3人だった同級生が25人になった世代と、その熱の伝承。

思い返せば天王田にある一人のバカが居た。

いや、ただのバカではない。だんじりが好き過ぎる生粋の「 祭バカ 」だった。

生まれた頃からだんじりと共に生活し、1秒でもだんじりを曳いていたかった小学生時代、ランドセルを背負って先頭( 綱先 )で誰よりも全力で綱を曳いていた。

変わらぬ熱を持ち続けた中学生当時、同級生はそのバカを含めて3人。男は彼1人。

「 天王田を○○のようにしたい!! 」

出来もしないような「 絵空事 」を本田圭佑ばりに語る毎日。そんなバカの元に高校時代、2人の男が加わった。それでも当時まだ計5人。そんなバカでも後から入った2人を祭男には染められない。

だがバカには圧倒的な熱量と相手を想う気持ちがあった。

誕生日には必ずメールを送り、何かある度に電話をしてコンタクトを取り、ご飯やカラオケにも一緒によく行った。

3つも6つも離れた先輩を引き連れて下手くそなサッカーをし、吉野家の牛丼でご飯を食べ、先輩の家でウイニングイレブン( サッカーゲーム )をした。

次第にバカが伝染していく。

先輩たちとおったら楽しいな。祭って悪いもんじゃないなと。

後から入った男の1人も気付けば鳴物の練習を始めていた。高校3年生、18歳の冬だった。

「 叩き手が居ないと寂しそうにしていた祭バカの隣で鉦( かね )を叩きたい 」

理由はただそれだけ。

今考えればもうその頃にはバカに汚染されてれっきとした「 祭バカ 」になっていたのだと思う。

「 人数を増やして100人にしたい 」

輪の中心にいるその大バカは、まだまだ大きな事を言い続ける。

だけど、中学になって入ってきた3つ下の後輩たちを含めて「 そんなの無理だ 」と言う人間は一人も居なかった。

別々の道に進んでいたそれぞれの高校の同級生に声を掛けた。そして10人、15人、20人と声を掛けたメンバーで集まってご飯を食べた。

馴染めない人間には積極的に声を掛けて、楽しめるようにホスト役をバカが務めた。それを見て汚染されたバカが同じ行動を取る。

気付けば3人だった同級生は25人になった。

3つ下の後輩たちも相当なバカだった。大バカに洗脳されておかしくなっていたのだろう。

15人を集めてきた。

2つの世代でだけで40人。その頃には若衆は50人、いや、60人を超える組織になっていた。期間は1年ほど。最終的には70人を超え、保存会としては100人を超えた。

バカを含めて3人で始まったあそこからである。

誰も「 出来ない 」なんていう言い訳をしなかった。そんな逃げ道を探さず「 出来る方法 」や「 出来るための道筋 」を必死に探した。

人が増えると自然と楽しくなる。

みんなで鳴物の練習をして上手くなった。お花見をして仲良くなった。海にもボウリングにもカラオケにも行って、毎月毎月誕生日会をおこなってプレゼントを渡し合いっこして関係性が育まれていった。

当時は高校生・中学生の集まり。

お金もなく、大バカの実家の酒屋の倉庫を借りて段ボールを下に敷いて地ベタに座り、スーパーで買った大量の駄菓子と少ないバイト代をはたいて買ったピザをむさぼっていた。

でも楽しかった。

だけど同時にたくさん怒られた。

若かったこと、人数が多すぎたことで祭終わりの打ち上げをおこなう会館には残してもらえず先に帰らされた。当たり前の決断だ。

それでもバカご一行は真っすぐ帰らない。

マンションの下にみんなで集まって有り余るエネルギーを放出した。もちろん、先輩方から呼び出され、一言も喋る隙間もないぐらい激怒された。

電話で2時間の説教をくらったこともある。

だけど楽しかった。

祭は本来楽しむもの。

大バカが若衆のトップに立ち、1年間若頭を務めあげた秋祭り宵宮最後の夜、彼が大切にしてきた「 町会の方々の前で 」地車に乗って挨拶をするセレモニーの場を用意した。

当時の天王田にはそんな慣習はなかったが、大バカが築き上げてきた歴史を考えれば必然の結果。

それは自然発生的に生まれた。

大バカを中心にとにかく祭を楽しんだ。

そんなバカも34歳になった。3つ下の後輩は31歳になった。皆それぞれ祭で育んだ人とのコミュニケーション能力や祭を通して得た人のつながりを手に、社会人としても大きく飛躍し、活躍している。

バカをしてたくさん叱られた当時18歳、15歳だった彼らも今では後輩から相談され、経験を伝える立場になった。

後輩が問いを立て、先輩が答え、納得や理解が出来ない部分は互いに意見し合った。だからこそ有意義で、すごく素敵な時間だった。

宴が始まった18時から、約7時間半。

気付けば時計の針が1時30分を指していた。

そこで気付いた。

バカは10個以上も年の離れた後輩たちにも「 しっかりと伝染していた 」という事実を。

みんなで今一度天王田のだんじりを良くして行こう。そんな大バカに最も近くで汚染されたバカからの戯言は以上です。

 

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段上 功

段上 功
段上 功
1985年大阪市城東区生まれ。2児のパパ。妊活・ホルモンバランスの乱れ・自律神経症状といった『体質改善』を得意とする鍼灸師。明治東洋医学院の講師を務める並川一利氏に弟子入りし、4年間ほぼ無給で鍼灸治療を学ぶ。過去にお付き合いしていた女性がうつ病になり、鍼灸とカウンセリングで社会復帰をサポートした経験から、毎日何かに向き合い頑張る方が「 周りの目を気にせず、ほんの少し息を抜ける場所 」を作るため、地元・城東区鴫野に鍼灸院をオープン。おひとりずつの1日6名様のみ。500人規模のフェス「 縁日BBQ 」を主催。「 だんじり祭鍼灸師 」としてSNSでの発信を積極的におこない、ブログは2016年から7年超毎日更新中!SNS・ブログでの発信、鍼灸施術についてのアドバイスや講演も。元モデルの長姉、着付け講師の次姉の影響か、オシャレカフェやスイーツに目がない女子力高めな面も。

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