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ヒストリー 仕事への想い 鍼灸

厳しいと言われる世界に弟子入りした、19歳が目にした景色。

藤川球児投手が憧れだと話している阪神・ドラフト6位の小川投手に対してキャッチボールの相手役を求めた藤川投手。球筋を見せながら「 尊敬してたら( この世界で )おれには勝てない 」と伝えたそう。チームにこういう選手が居るからこそ阪神の投手陣は高い水準を保っているんでしょうね。

こんにちは!ブログを書く文章は溢れるほど出てくるのに冒頭の挨拶に時間が掛かっている鍼灸師のだんじょーです。

今日の黒板はこんな感じでした。

一昨日、昨日はコロナウイルスの投稿よりも多かった気がします。やはりイケメンという存在はこころを穏やかにしてくれますね。

厳しいと言われる世界に弟子入りした、19歳が目にした景色

先日までに、地元で開業した理由、医療の道を志したキッカケ、整体で骨折させられてから弟子入りまでという過去のお話を書いてきましたが、今日はその続きです。( 「 ヒストリー 」にまとめています )

まだご覧になられていない方は上記をクリックして先に見ていただいた方が流れがよくわかるかと思います。

さて。

弟子入りさせていただけることが決まった19歳の青年だんじょーは鍼灸学校に行くことになった。

受験先は師匠が非常勤講師を務めていたあびこにある関西医療学園。

講師の先生も、学校のレベルも鍼灸では今も昔も業界ではトップクラスの学校なので、倍率はめちゃくちゃ高かった。

その上、試験科目である「 生物 」は「 物理 」を専攻していた高校時代には教科書を開いたことすらない科目だった。だから高校へ行って、まずは「 教科書を買うこと 」から始めた。

と、同時に願書を送る際の手続きもスタートさせた。証明写真を撮って、必要事項を書いて書類を送付。

しかしながらこの時に19歳の若造はスーツではなく「 カッターシャツ姿 」で撮った証明写真を願書に貼り付けた。

それを師匠に伝えたらどえらく怒られた。

その上で「 もしも受かっても学校からの印象が良くないから、試験は坊主にしていけ 」と忠告された。たしかに間違いじゃないけれど、今ならパワハラと言われても仕方のない指導だろう。笑

試験は12月。1ヶ月後には人生で一度しかない晴れの舞台「 成人式 」が控えていた。

成人式用のスーツを買ったりアスコットタイを買ったりして準備してきた若造にとって「 伸びきった坊主姿で挑む成人式 」は是が非でも避けたい体験であったが、今も髪をカットしていただいている方に「 出来るだけオシャレな坊主で 」と無茶な注文をしたのを覚えている。

その後何とか試験には合格。

在学中の3年間で講師の先生に「 証明写真のこと 」や「 坊主のこと 」について触れられたことは一度もなかった。果たして「 坊主にした意味 」があったのかなかったのかは今も定かではない。

教わった、身だしなみの大切さ

合格がわかった段階で弟子入りの準備に入った。まず初めに言われたのは「 学校に入る前に( 360個ほどある )ツボを全部覚えてこい 」ということ。

3年間の月日を掛けて覚えていくものを何の知識もない19歳が覚えるなんてと思ったけれど「 先輩たちはみんな覚えてきた 」と言われて目の色を変えた。

本気を出せば2週間ほどで覚えられた。

学校に入る前にツボを全て覚えていたので3年間のツボの授業は復習程度で、別の勉強に置き換えることが出来た。

図書室で何冊か本を借り、ツボの授業の際に読み切るのがボクのルーティンだった。いや、実際には睡眠学習に使っていた日も多かった。

弟子入りしてからはタオルの畳み方とトイレ掃除の仕方を学んだ。

「 女性が居ない職場だからこそ、女性に配慮した空間づくりが大事 」ということを教わった。素敵な考えの先生で良かった。

身だしなみは清潔感があるように短髪で、インナーは白のTシャツ、靴下も白色無地、白のポロシャツは紺のジャージの中にインするという体操のお兄さんスタイル。

自由な生き方をしている今のボクとは正反対。だけど気持ちは変わらず昔のまま残っている。

あと、学校に行く時はワイシャツにチノパン、カバンを必ず手に持ちなさいということを言われた。

1年生の真夏の日に、学校の同級生たちと同じように短パンにサンダルで登校しようとしたら、二度とそんな恰好で来るなと師匠にどえらく叱られた。たしかに今思えば仕事場にその恰好はいただけない。笑

「 短パンとサンダルはいけない 」とボクの頭の中に刷り込まれ、以後3年ぐらいはプライベートでも短パンとサンダルを履くことを控えていた。自分で振り返っても従順な青年だと思う。笑

あとは「 先生という立場は決してえらいわけではなく、あくまで患者さんと対等な関係である 」ということを何度も何度も話していただいた。

社会経験のない若造が「 先生 」と呼ばれ、勘違いをする姿を師匠はたくさん見てきたのだと思う。

だからこそ今でも先生というものが偉いものだと思わないし、当時から変わらず今もずっと患者さんと対等な立場で楽しくお仕事をさせていただいている。

初めにどんな場所で働くかによって人生って大きく変わると思う。ボク以降の弟子はあまり続かず、たくさん辞めていってけれど、ボクは師匠の下で学べて良かったなと今でもつくづく感じる。

まだまだ弟子時代の話は序盤。

▼毎日お灸の練習をした木の板

気になる方が居るのかはわかりませんが、いーーっぱいエピソードがあるので、また小出しにしていきたいと思います。

本日は以上です!それではまた明日~♪

 

城東区・段上はり灸治療院は、
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段上 功

段上 功
段上 功
1985年大阪市城東区生まれ。2児のパパ。妊活・ホルモンバランスの乱れ・自律神経症状といった『体質改善』を得意とする鍼灸師。明治東洋医学院の講師を務める並川一利氏に弟子入りし、4年間ほぼ無給で鍼灸治療を学ぶ。過去にお付き合いしていた女性がうつ病になり、鍼灸とカウンセリングで社会復帰をサポートした経験から、毎日何かに向き合い頑張る方が「 周りの目を気にせず、ほんの少し息を抜ける場所 」を作るため、地元・城東区鴫野に鍼灸院をオープン。おひとりずつの1日6名様のみ。500人規模のフェス「 縁日BBQ 」を主催。「 だんじり祭鍼灸師 」としてSNSでの発信を積極的におこない、ブログは2016年から7年超毎日更新中!SNS・ブログでの発信、鍼灸施術についてのアドバイスや講演も。元モデルの長姉、着付け講師の次姉の影響か、オシャレカフェやスイーツに目がない女子力高めな面も。

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